道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃない

「道場というのは、技を習いに来る場所。練習しに来る場所じゃないんだよ」

最近、日常で心がけているのは、正しい刃筋である。

普段、稽古で使っている居合刀は、いずれも樋が入っているので、ふればピューピュー鳴るわけだが、樋の入っていない長い刃物で、「樋音」ではなく「刃音」がきちんと鳴るよう心がけている。

これもたいがいは夜寝る前などに寝室で、跪坐(きざ)の状態での正面斬りなどを行い、刃音がきちんとするかどうか繰り返している。樋がない刃物は、正しく斬り下ろさないと、まったく刃音が鳴らないので、良い稽古になるのだ。

さて、それでは上記のような、5分、10分といった細切れの時間さえ取れないときには、どうするか?

私は次のような点を心がけている。

・武術関連の書籍を読む
・頭の中で、組太刀や型稽古を行う
・手裏剣や打刀、木太刀などにさわる

たとえ打てなくても、手裏剣に触って重心の位置を確認するだけでも、稽古になるものだ。

私たちは社会に生きている以上、働いて自分の食い扶持を稼ぎ、家族を養い、可能であれば職業を通じて社会に貢献していかなければならない。

しかも近年は、良いか悪いかは別にして、油断すれば誰かに追い越され仕事を失ってしまうこともまれではない、過酷な成果主義、能力主義の時代である。

一方で武芸というのは本来、生業にするようなものではない。

だからこそ私たちは、健全な社会人として日々を送りながら、暮らしの中で自分なりの稽古を工夫していく必要があるのだ。

引用元:https://saitamagyoda.blog.fc2.com/blog-entry-293.html