僕が所属していた「民主的なチーム」がなぜ崩壊したのか、今になって振り返ってみると、理由は大きく2つあると考えられます。
1つ目の理由は、民主的であるがゆえにコミュニケーションコストが爆発的に増えたことです。
「民主的なチーム」では、基本的に物事は話し合いで決まります。リーダーが勝手に決めたら、それは民主的とは言えません。ちょっとしたことでも話し合いが必要になるので、必然的に会議に割かれる時間が多くなります。会議、会議、会議の連続で、業務時間中は朝から晩まで全部会議!なんてひどい日もありました。
このようにして会議に時間が取られるようになると、肝心な他の作業のための時間が削られます。時間がなくなれば、当然やれることも少なくなってきます。プロジェクトの最後の方には、
「こうなったら休日出勤もしようか」
といったような悲惨な提案まで出てきて、チームの雰囲気自体も悪くなっていました。
2つ目の理由は、「話し合い」を重ねることによって、とんがった意見がすべて丸くなってしまったことです。
ある人が「すごく面白い」と考える案も、他の人が見た場合には「全然面白くない」ように見えることは結構よくあります。そういう時に「話し合い」で解決しようとすると、最終的には無難な案に落ち着くのは目に見えています。無難な案は確かに万人から悪い評価を受けないものではありますが、誰かの心に深く突き刺さるようなこともありません。
一般消費者向けのサービスを作るようなプロジェクトの場合、これは特に致命的です。「みんなで話し合えば話し合うほど、いいものになっていく」というのは、実際には幻想にすぎません。話し合えば話し合うほど、無難でつまらないものになっていくという側面もあるのです。
引用元:http://quote-over100notes-jp.tumblr.com/post/173541039401