必要が無い限り身につくことはない

日本の国語教育や英語教育をだめにしているのは、著者が守ろうとしている「文学」である。国語の時間に教わるのは小説の解釈ばかりで、自分の意見を発表する訓練はほとんどない。英語の授業では、まともに発音もできない先生が小説を重箱モードで解釈し、1年かかって100ページぐらいの薄い教科書を読む。こんな教育をしていては、大量の英語の文書を読んで表現することは絶対にできない。国語や英語の授業は廃止し、英語はすべて語学学校にアウトソースして、大学入試の語学はTOEFLで代えるべきだ。
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日本語はすでに亡びている – 池田信夫 blog

だいたい同感。しかし「必要が無い限り身につくことはない」とも思うんだよな。日本の英語教育がああなのは英語を使う必要が今まで無かったからだし、国語教育がああなのは「実は日本人同士のコミュニケーションの中でさえ日本語は大して重要な役割を演じてない」てとこが本質だと思う。

(via raurublock)

で、英語についてもう少し掘り下げると、「必要が無い限り身につくことはない」ので英会話の習得は義務教育や高校レベルでの英語では必要無いと思う。会話ではなく、読み書き、特に読む方を重点的にやらないといけない。必要なのはどんなに簡単な英語の本でもいいから、とにかく読むこと。いまなら日本国内の書店でもESL(English as a Second Language)用の簡単な英語で書かれた小説なんかを購入できるのだから、中学校でそういう本を1ヶ月に1冊のペースで読ませて、簡単な英文で感想を書かせるとか、そういうことをすべきではないのかな。

引用元:https://quote-over100notes-jp.tumblr.com/post/669669597825433600