プロがプロであるのは、体系化された大量の知識と情報、一朝一夕には身につかない技能、経験のストックに由来する判断の速さ、事象が与えられたときの問題構成能力、解決方法を見つけるための思考パターン、最新の情報・状況の入手ルート、良し悪しの判断基準、禁じ手のリストなどを持っているから。
専門分化した社会では、あるコトのプロはそのコトに取組続けることでよりよくそのコトが出来るようになり、それを実現します。ということは、そうではない人にはそのコトは出来ないし、分からない。専門を持つということは、その専門以外の人々とは異なる何かになるということです。しかしそれが社会の中のいち機能である以上、当然ですが、ソトの人々とのかかわりが発生します。日常的に存在する接点では、異なる専門の機能間をつなぐためのインタフェイスが必要ですから、構築され運用されています。なかみはブラックボックスでも、ともあれ、必要なことは通じるようにする。
ところが、それが、突然大勢の(例えば数千万人の)人々がそれに関心を向けたとき。普段全く接点がなく、知識や常識、行動基準の共通部分さえ小さいような人々が相当(例えば半分とか8割とか)いたりもします。そのような人々から見れば、「プロ」のいうことはさっぱり分からない、かもしれません。しかし「分かりやすく」「噛み砕いた」説明は必ず不正確になります。詳細、条件、例外、複合効果等を省き、専門用語を使わないことで、受け手の知識、認知負荷、思考能力等への要求を下げると「分かりやすい」と言われますが、専門家同士は正確な記述・理解・議論に必要で上記モロモロをしますから。
引用元:http://quote-over100notes-jp.tumblr.com/post/176922437556