フランスの王太子は彼女を信じてフランス軍の手勢を与える気になったのかの理由は「言って欲しいことばっかり言ってくれるから」

ジャンヌ・ダルクみたいな農民の小娘が「神の声を聞いた」とか言い出したところで真に受ける必要なんて無かったのに、なぜフランスの王太子は彼女を信じてフランス軍の手勢を与える気になったのかをラジオで解説してて、理由は「言って欲しいことばっかり言ってくれるから」だった

引用元:https://x.com/chounamoul/status/1821601815420395746

最近の平均的な学生は実に細かいことにまで失敗やミスを恐れる傾向が強い。失敗を「糧」にするのではなく、失敗が「傷」になると思っているらしい。

二十年も同じ大学で教えていると学生の一般的態度に変化が生じていることに気づく。かつてと比べて最近の平均的な学生は実に細かいことにまで失敗やミスを恐れる傾向が強い。失敗を「糧」にするのではなく、失敗が「傷」になると思っているらしい。そんなひよわなことでは大した成長は望めまい。

引用元:https://x.com/TakashiShogimen/status/1821081453557653573

政治や経営陣にリーダーシップが欠如していると言われるが、減点法で上がってきた人たちにリーダーシップを求める方がおかしい

「政治や経営陣にリーダーシップが欠如していると言われるが、減点法で上がってきた人たちにリーダーシップを求める方がおかしい。」今日の経営情報学会での高田教授の発言。けだし明言。

引用元:https://x.com/_nat/status/74533182950752256

科学者って99%正しいことでも、例外があるから、言い切れなくて、一般大衆にすごい誤解を与える

科学者って99%正しいことでも、例外があるから、言い切れなくて、一般大衆にすごい誤解を与える。逆に、弁護士は3割ぐらいしか当たらないのに、自信満々で言い切るwww これを覚えておかないと、将来痛い目を見るよ。

引用元:https://x.com/kazu_fujisawa/status/453422114175852545

意味は通じても、気持ちは通じない。

・「人並み」とは他者の目を気にした結果だ。他者を気にする人は、人並みになる。

・手を入れて、修理をして、機械が自分の思い通りに機能することが、人に喜びを感じさせるのは、やはり、「自分の思い通り」という「自由」の定義と一致している。

・飛行機や自動車のボディの色や模様を変えても、性能に影響はない。そういったものは「デザイン」ではない。機能を改善する試みこそがデザインなのだ。人生デザイン(つまり人生設計)でも同様、色や模様を変えるようなファッションではない。

・意味は通じても、気持ちは通じない。

・過去を語る人たちには、「で、今は何をしているの?」と尋ねたくなってしまう。

・誰にも理由はわからない。今のところ解決策がない。そういう状況こそが、人間の能力を投じる対象であって、それこそが、毎日の楽しみである。

・ついこの前まで、誰もが意識せずに使っていた沢山の表現が、公の場では発言できない。このような「言葉狩り」は、いうなれば簡単で安上がりな手法だ。言葉を制限すれば、人々の意識が変わる。

・一所懸命写真を撮って、この日時に、この場所に私はいました。誰某と一緒でした、といった作られた思い出というのは、ずばりいうと、「アリバイ」だ。「あなたは孤独なのではありませんか?」と刑事に追及されたときに、「そんなはずはない、この写真を見て下さい」と提示するためのアリバイである。

・言葉を覚えて知ったつもりになる

・ちなみに、「探偵」という英語がないのをご存じだろうか? ディテクティブもインスペクタも、警察の役職(つまり刑事)である。

・知るとは、知らないことを増やすこと

・知らないことが馬鹿なのではない。知ろうとしないことが本当の馬鹿である。

・人々は貧しいし、力がないから、働かざるをえない立場だった。労働は貧しさと非力の象徴だったのだ。労働者が偉いという思想は、つい最近になって生まれたもので、社会主義や共産主義の要といえる。それでもやはり一番偉いのは、統治する者であることは、共産主義の国々を見れば歴然だろう。

・発想というのは、「着眼」から生まれる。どこに目をつけるのか。何を見るのか。できるだけ広く見回し、なるべき沢山のものを見る。関係のないものでも目をつける。そうするうちに、ふと気づくことができる。これが「発想」である。

・自分の視点しか持っていない人、自分の気持ちしか考えない人は、新たな「発想」ができない。他者の視点、他者の気持ちを想定すること、つまり、より高い視点に立つことで、新しいものに着眼できる。

・腹が立つような体験も、誰かに教えて、その人たちにも怒ってもらいたい。みんなで一緒に怒ってほしい。そうしないと、自分が怒って良いのかどうか不安だ。「皆さんはどう思いますか?」と問いかけないと、怒るべきなのか、それとも、我慢をしなければならないのか、判断できない。このような思考、行動をする人が、最近増えているように観察できる。

・音楽だって、ダンスだって、馬鹿馬鹿しいな、つまらないことをしているな、と感じる人がいる。でも、そういうものが存在することを否定することは正しくない。「好きな人はやれば」と微笑むのが正しい。

・ただ会話がしたいというだけで質問しているのだろう。ネットでも、このような意味のない問いかけが散見される。個人もそうだし、記事を書く人たちも、マスコミも、新聞も、本気で疑問を投げかけているのではなく、ただ、話題を提供している程度の意味しかない「問い」でいっぱいだ。

引用元:https://gnxshop.blog.ss-blog.jp/archive/20240801